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​赦しのワークシェア

 

文句を言う相手に出会した時、

相手は自分の心の中を投影していると 受け入れられるようになったのは ごく最近のことです。

 

相手の行動が理解できず、

受け入れられずに応戦していたことも多く、

その度に何を学んでいるのか?

と自己嫌悪に陥ることもありました。

 

そんな時、『奇跡講座』のクラスや

学習会に参加すると

 

その時の自分に必要な気づきや

間違った考え方の修正を学ぶことができ、

何度も救われました。

 

クラス中にFacilitatorが解説してくださることが腑に落ちなくても、

自分の心に向き合っているうちに

「そうだったのか…。」と

腑に落ちることもありました。

 

心が切り替わるのが少し早くなったのは

定期的にクラスや学習会に参加するようになってから。

 

教えてくださるFacilitatorと

一緒に学んでくれる仲間の存在に

心から感謝しています。

 

ありがたいです。 

 

「知は力なり」

 

「継続は力なり」

 

「千里の道も一歩から」

 

知っているだけで実践しなければ意味がありません。

実践し、差し出すことで初めて自分のものとなります。

学び続けることで大きな力となります。

C.T. 
 

8月より再開し、テキストを順に朗読しあい、少しずつ丁寧に皆さんと読み進めていく形の学習会は、思っていた以上に理解しやすく、とても心地よいものでした。

 

呪文がかけられていたように難解な文章の意味が、読み解かれていくこと…。そこに神からのメッセージが沢山詰まっていたことに気づき、見つけることができた時の嬉しさは、辛いと勝手に思い込んでいた出来事が、奇跡に変わる瞬間と同じだなぁ…とまた気づき…

 

そして…、毎回毎回、不思議なほどに今、つまづいている日々の悩み事や出来事の答えやヒントが必ずあることにもまた、改めて感謝です。

 

1人ではなかなか見つけられないこと。

 

こんな世の中だからこそ…

 

皆で集まり、心を選びなおし、癒されること。

 

面倒くさいの一歩先に実は幸せがあること…。

 

1人でも多くの皆さんと一緒に集まり、幸せな瞬間を体験しあえたら嬉しいです。

 

教えてくださるHARUと一緒に学ばせていただける皆さんに心より感謝します。

K.O.

「私の聖霊に、任せてください」
 

クラスでの新入生からの質問に対する、ファシリテーターHARU からのなんと力強く光輝く言葉! 画面を通して見る HARU はとても 嬉しそうで眩しかった。奇跡講座のクラスはこうでなくっちゃ楽しくない!

今回友達同士のお二人が、AHSの奇跡講座のクラスを初めてWEB 受講されました。物事をとても良く考えておられ、自己紹介からお二人が互いの赦しの相手であることがわかりました。参加者の自己紹介では、結果のレベルだけでなく原因のレベルを奇跡講座から引用する話し方にするよう指導がありました。

 

クラスは、そもそも我々は肉体ではなく、霊 spirit である、我々を創造した神は愛の想念であり、神が親、自分は神の子である、ということから始まりました。


心は霊に属する

霊は神に属する

神は愛であり 神は喜びである
 

「チャート」を用いてこの世界を原因のレベルと結果のレベルで説明され、なぜ今奇跡講座なのか、内容は非常に濃く、進み具合は速かったけれど新入生の二人は内容を受け止め、質問は非常に的を得ており、これが今回の新入生のレベルなのだと驚くと同時にワクワクしました。

今回のクラスでの僕の気付きです。
 

ワークブック Lesson 154 パラグラフ12 :私たちはただ、「受け取ったものを与えない限り、自分が何を受け取ったのかが認識されない」
(中央アート出版社 『奇跡講座』下巻より引用)
という今日のレッスンを学ぼう。

パラグラフ 11 センテンス 2-5: 聖霊は、私たちを通して語ることができるように、私たちの声を必要としている。神のメッセージを 聖霊が指名した者たちのところに運んでいくために、私たちの手を必要としている。聖霊が意志する場所へ私たちを連れていき、不幸の中で待っている者たちについに救済がもたらされるように、私たちの足を必要としている。そして私たちが聖霊の与える贈り物の真の受取人となれるように、聖霊は、神の意志と一つになった私たちの意志を必要としている。(中央アート出版社 『奇跡講座』下巻より引用)
 

以上より、

・学びを自分のものとするために、学んだことをそのままシェアする

・自分と自分の肉体は、神のメッセンジャー(派遣社員)として聖霊の導きに従い、神の 

 意志と一つになって(全一性で)行動する

・自分の思考と行動に対する、奇跡講座からの引用による原因のレベルでの説明

 

新入生からの学びが多く、感謝です。レベルが高いけれど、やりがいがあります。

みんなと一緒なら頑張れる。嬉しく、ありがたいです。 

山田一成

「ACIM Listening学習会」で学んだことをシェアします。

 

・『奇跡講座』テキスト 中央アート出版社 第二十八章「恐れの取り消し」V.恐れの夢に代わるもの、VI.秘密の誓い、VII.安全の箱舟)
 

・『奇跡講座』テキスト 中央アート出版社 第二十九章「目覚め」I.隔たりを閉じる

 

◇V.恐れの夢に代わるもの
◇VI.秘密の誓い
◇VII.安全の箱舟

※自我の思考システムに捉われていると、つまりマインドレスであると、「自分は自分が創り出した夢と同じではない」とは知覚できません。そして夢を実体化して、その夢に登場する影法師たちから影響を被ってしまいます。 罪悪感(恐れ)と攻撃と防御は一体のものであり、これが(恐れを共有することで)巡り巡ってエスカレートしていきます。この負のスパイラルを断ち切るには、赦しを通して相手との隔たりをなくすしかありません。それは自分の意志でできるものではなく、一歩退いて、神(聖霊)に委ねるしかありません。

 

◇I.隔たりを閉じる:

※神に対する恐れは、(分離することで神を裏切ったという)罪悪感から生じます。そして憎しみは、その罪悪感を他者に投影することで生じます。他者を攻撃し自分を防衛し、他者との間に隔たり(バリアー)を設けることで、自分(=自我=肉体)は安全であると錯覚します。
その隔たりを閉じるには、神(=愛)に対する恐れがなくなる必要があります。

​H.O.

このレッスンは、今期のACIM Intensive Class入門編の最終日で、参加者からのリクエストである「祈り」についてのレッスンでした。

感想を書こうと思い、自分のノートを読み直しました。

この日のメモだけでなく、その前のレッスンのメモも読み直しました。

そこには 【God is】→ 【神ありき】 と書かれていました。

その日のレッスンの感想は書いていないのですが、レッスン中にHARUから 学びが進むと、 God isまたは神ありき、と聞いたら涙があふれるほど感謝になってくる。 と言っていたのを思い出しました。

わたしはGod isと聞いたときに、 すべてOK、大きな安心 と思いました。

しかし涙が出るほどの感謝からは。。。程遠いでした。

その後今日のレッスンを受講し、数日が経ち感想を書く段階になってようやくそのことが染み入るように理解できました。

【祈り】について 一般に使われている「祈り」は神頼み。。。ですよね。

そうではなく、本当の「祈り」について教えるのは丸1日かけても足りない、とHARUから言われたことがよくわかりました。

今から書くことは、この感想を書き始めて、自分の体験から湧き上がるように気がついたことです。

今ではカナダに住んでいますが、日本で英語を学んでいた頃は学校を卒業するまで、テストで30点以上取ったことがないほどの落ちこぼれでした。

それゆえ文法が分かっておらず、カナダに15年住んでいる今も携帯のアプリを使い、10分ほどですが、500日以上毎日英語のレッスンをしています。

英語のレッスンをしているときでした、ふと湧き上がったのです。

わたしは英語に関して全くの落ちこぼれだったのに、カナダで市民権を取り、15年住み続け、仕事ではトップセールスになり昇給もしてもらった。

学生だった当時、絶対不可能、思い描くことすらもないことでした。

レッスン中にみんなで 『奇跡講座』中央アート出版社 ワークブックの最後にある 「祈りの歌」を読み合わせしました。

その中の一節です。

「 祈りとは、神に到達するために聖霊により差し出されている道である。それは、単なる質問でも祈願でもない。祈りが何も求めないと言うことをあなたが悟るまでは、祈りはうまくいかない」 『奇跡講座』中央アート出版社 「祈りの歌」Ⅰ真の祈り 1、1〜3

「 そのように求めるのではなく、すでに与えられているものを受け取ることができるように、すなわち、すでにそこにあるものを受け入れられるようにと、求めなさい」 『奇跡講座』中央アート出版社 「祈りの歌」Ⅰ真の祈り 1、7

HARUから
「祈りとは神頼みではない。 祈りとは感謝であり、選び直すこと」
と教えて下さいましたが、ここに書いてある!と思って読みました。

英語に対してのわたしの体験を思い出しながら、今はまだ神の教師になるとか、正しくACIMをシェアできるようになっている自分を思い浮かべることは出来ませんが、あの時のようにできるときが来るのだ!と確信が持てました。 未来も過去もすべて今現在が作り出します。

すべてのことを聖霊に感謝し、選び直し続けることが腑に落ちました。

今期のクラスは終了しましたが、できると確信が持てる自分をうれしく思い、来期のクラスを楽しみにしています。

いつも教えてくださるHARU、一緒に学ぶ仲間といつも一緒にいる聖霊に感謝を捧げます。

​平 紀子
 

今日は言葉(思い)を伝える大切さを学んだ。
言った言わないの時限ではなく、「こう思ってた…」「言わなくてもわかるだろう…」とかいう、

その裏に隠された、真意、心を寄せて欲しかった、思いを共有して欲しかったなど…
相手の立場にたって考えてなかったことに気づく。

相手に(自分)に差し出したものしか受け取れない…(私のエゴの投影…)それに気付けた時に、赦し(癒やし)が起こった。
私が間違ってた。

これからはもっと相手に寄り添い、思いやりを持てる人になろうと…心から思える1日になった。

そのように考え方を変えれるようになったのも、このListening学習会でテキストを読み、心に向き合うレッスンを続けてきたおかげだと感謝致します。

​吉野 惠子

子供の頃から 他人の誤りを赦せずに もやもやしていた。

だからいつも緊張していたことに 気づいたのは

Facilitator HARU NOZAKI氏から 「心のメカニズム」を教えてもらった後、

今から10年ほど前になる。

 

頭痛持ちで、ミントが欠かせなかったが、今は必要ない。

 

素直にここまで辿り着いたわけでは 決してないが、

山あり谷ありでも、今日も元気な私がここにいる。

 

HARU NOZAKI氏から教えてもらった「心のメカニズム=『奇跡講座』」との出会いがあったから

掃除嫌い、片付け下手だった私を 克服できた。

 

ありがたい。

 

心も体もデトックスが必要な時代になりました。

奇跡講座では体は「無」とされていますが、『奇跡講座』で心をデトックスすると体調も良くなること間違いなし、です。

 

私が保証します。

​C,T.

ACIM Intensive Class ⑪⑫を受講して大切だと思ったことをシェアさせて頂きます。

「私は、ただ神の法則のもとにある。」

私たちはすでに、どれほど多くの無意味なものごとがあなたには救済のように思えていたのかを見てきた。
その一つひとつが、それ自体と同じように無意味な法則であなたを幽閉してきた。あなたはそれらに縛られてはいない。
けれども、このように理解するには、まずはじめに救済はそこにはないということを、あなたが悟らなければならない。
何の意味もないものの中に救済を探している間は、あなたは意味をなさないような法則で自分自身を縛り付ける。

そうすることで、あなたは救済が存在していない場所に救済があると証明しようとする。
今日、私たちは、あなたがそれを証明できないことを喜ぶ。
なぜなら、もしそれが出来たなら、あなたは、救済が存在しない場所で永遠に救済を探し続けることになり、決してそれを見つけることはないからである。

中央アート出版社「奇跡講座」下巻 レッスン76 1:1-6 2:1-2

今、世界そして日本社会がコロナと言う自立できない菌と言う(象徴)に対し恐れと分離を選ぶように促している現状の世界で洗脳されたままの私たちは、これまでこの世界レベルの真実から目をそらし真理からも目をそらして来たのではないかと改めて考えさせられました。

何時までも自立せず社会のせい政治家のせい他人のせいにして自らは何も行動しなかった私たちが今の酷い自我の世界を創り出したことを心底認めた上で行動を起す時が来ていること!「奇跡講座」を学ぶ者だからこそ出来ることがあり伝えるべきことがあり今こそ立ち上がる時だと言うことをHARUより心の底からのメッセージとして伝えて頂きました。

『神の法則一般公開』

「奇跡講座」を私たちは「神の法則」を 自信を持って一般公開して行く使命を預かっているんだと思いました。 この世界で出口を見つけられず彷徨いながら「こっちだよ!」と救済を求め、手を上げている方々が見つけやすい様に愛と勇気を持って行動する時!私は神の法則のもとに自分の強みを生かし「心を開く」お役目を果たす決断をします。


ありがとうございました。

​杉本 一之
 

「ACIM Listening学習会」で学んだことをシェアします。

 

・『奇跡講座』テキスト 中央アート出版社 第二十八章「恐れの取り消し」I.現在の記憶、II.結果と原因の逆転)
 

◇I.現在の記憶:
※私たちの記憶は肉体的には脳/脊髄と腸にある神経細胞によって処理されています。発生学的には腸の神経系の方が原始的であり、脳/脊髄の神経系は運動(捕食)に伴ってできたと言われています。どちらにせよそれは(たとえ数秒前のものであれ)過去の記憶です。 それとは別に肉体には保持されていない(往古の)記憶があり、それは神(天国=愛)の記憶です。それは聖霊によって心の中に(時間を超越して)保持されています。
過去は既に過ぎ去っており、現在とは何の関係もなくなっているのですが、私たちは過去の記憶を引きずりだして(幻想としての)現在を解釈しようとします。ですので(実相としての)現在を正しく解釈するには、肉体ではなく聖霊の記憶に依拠する必要があります。
 

◇II.結果と原因の逆転:
※原因と結果の分離と逆転は、複数のレベルに渡って発生していると言えます。最初のレベルでは、唯一の”原因”である神(愛)とその一なる”結果”である神の子(想念)が分離しました(実際は分離してないのですが)。次のレベルでは、その神の子(自我)が原因となってこの世界(幻想)が結果として作り出されました。ここに原因と結果の逆転が生じています。
次の段階では、分離の罪悪感をこの世界(幻想)に投影することで、この世界(幻想)を実在化してそこから自分(肉体)が影響を受ける、つまり実在化された世界が原因で自分(肉体)が結果であると知覚するようになりました。ここに最終レベルでの原因と結果の逆転が生じています。
この(複数のレベルでの)原因と結果の逆転を、その逆方向に進むこと、別の言い方をすれば原因となるような結果は生じていないと認識すること、これが奇跡であり救済(癒し)であると言えます。

H.O.

「ACIM Listening 学習会」の感想をシェアさせて下さい。
 

今日は奇跡講座

第13章罪悪なき世界

ⅣからVIの朗読を聞いて、

どこが、というより

解説まで聞いた全体の感想をシェアします。
 

今日は、いや今日も、

ドンピシャに自分のつまづいていた問題でした。

過去に囚われて前に進めない。

豊かになれないのは、過去に借金した夫のせいだと、ずっとその事を忘れた事はありません。
 

HARUから

「あなたに言われた事は、ゆるすけど忘れない」って言われたと、話かが出ました。

ゆるすけとど忘れない

忘れない=ゆるさない

これでは赦しには、全くならない。

赦さずに攻撃し、破壊する。

そして、相手なんか居ないのだから、自分自身を攻撃し、破壊しエゴの底無し沼にハマっていく。


あーーー!
 

そんな人生オモロいか?って自分に問うてみました。

人にされたと、思い込んでいる幻想を忘れず大事にして、常に攻撃の体制でいる事って、、、、

おもんないから、やめよう!

やめて、過去のエゴフィルターを外して、相手を見よう!

全ては、 自分が相手の何を見るかだと気づきました。

相手にも必ずいるキリストを見るには、私がキリストの心眼で見るのだ。

今日は、特に長年喉に引っかかった小骨が取れたような感じです。

だってキリストの心眼で相手のキリストを見て、喜んでもらったり、喜んだり、ありがとうって言うたり、言われたりした方が、絶対的に楽しいから。
 

HARU

今日もありがとうございます!

​曾我部 順子

「ACIM Listening学習会」で学んだことをシェアします。

 

・『奇跡講座』テキスト 中央アート出版社 第二十二章「救済と神聖な関係」III.理性,および,誤りの形態、IV.道の分岐点、V.弱さと防衛の姿勢)

 

◇III.理性,および,誤りの形態:
※自我の間違った心で相手の中に罪を見れば、それは訂正不可能であって、裁ざるおえません。一方、理性の正しい心(心眼)で相手を見れば、それは単に誤りの形態であって、訂正可能であると知覚することができます。それは過去を見ないということでもあります。「(あなたは=私は)取り返しのつかない過ちを犯してしまった...」とういことは、真理からするとありえないことになります。そこに癒しの根拠があります。

 

◇IV.道の分岐点:
※一旦(聖霊の心で)相手を赦した後で、また(自我の心で)裁くことはもはや出来ません。出来たとしたら本当には赦していなかったということになります。その意味で、もし「赦すけど忘れない」ならば、それは過去を現在に持ってくることであり、実は赦していなかったということになります。

 

◇V.弱さと防衛の姿勢:

※「奇跡講座」の教義にあるように「実在するものは脅かされない」ならば、それを防衛する必要はありません。そして防衛する必要があるものは実在していないもの、つまり幻想ということになります。幻想を防衛することは真理(=神の愛)に敵対すること、つまり分離することであり、弱さと孤独の代価を支払うことになります。

 

◇全般的な感想:
COVID-19のパンデミックが私たちの心の投影であるならば、それは神の愛に対する私たちの防衛と、その結果としての弱さと孤独の象徴ということになります。でも見方を変えれば、(兄弟と共に)神の愛を受け入れる直前まで来ているともいえます。それは夜明け前が一番暗くなるのと同様のことだともいえます。


それをテキストの一節が次のように表現しています。「そのようにして、あなたと兄弟はこの聖なる場所に、あなた方とキリストの顔の前に垂れ下がる罪のベールを前にして立っている。そのベールを取り除こう!兄弟と一緒にそれをもち上げなさい。それはあなた方二人を遮る(さえぎる)一枚のベールにすぎない。」(同二十二章 IV.道の分岐点 3:1-3)

H.O.

「ACIM Listening学習会」で学んだことをシェアします。

 

・『奇跡講座』テキスト 中央アート出版社 第十六章「幻想を赦す」I.真の共感、II.聖性の力、III.教えることの報奨

 

◇I.真の共感:

※人が苦しんでいるときに「可哀想だね...」と言って、相手の「弱さ」に同情するのは真の共感ではなくて、むしろ相手の「強さ」を信頼し、静観して聖霊に判断を委ねることが求められています。

 

◇II.聖性の力:

※自分の知識や過去の経験から判断するのではなく、今のこの瞬間において聖霊に信を置いて決断することが求められています。

 

◇III.教えることの報奨:

※自己には正しい心の状態と、間違った心の状態と二つのモードがあります。自由を教えているのは、正しい心のモードの自己(=キリスト)になりますが、これは間違ったモードの自己からは認識できません。だから自分でないような力が自分を通して働いているような気持ちになります。

ここで”自由”とは、テキストの前の方で述べられているように、自我の欲求に従って勝手気ままに行動することではなく、神の意志(愛)に沿って行動すること(つまり癒すこと)を意味します。(『奇跡講座』テキスト 第八章「帰還の旅」IV.自由という贈り物)

 

◇全般的な感想:

自分の決断や行動が、本当に聖霊の心から為されたものであると、どうしたら確信できるのか? といつも思うのですが、結局のところ、その結ぶ実(結果として生じる状況)で判断するしかないと感じています。確かに聖霊の結ぶ実と、自我の結び実はまったく異なると思います。

私自身は、聖霊の結ぶ実を”具体的”には次のように捉えています。

神との関係としては愛、喜び、平安であり、他者との関係としては寛容、親切、善意であり、自分との関係としては誠実、 柔和、節制です。

H.O.

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